La Maison avec du coeur

フランスの友人夫妻が HEART&HOMEを「La maison avec du cœur」と 素敵に表現してくれました。
彼らの 私たちに対する想いに 感謝の意を込めて Blogタイトルにしました。

世界にたったひとつの家具

丸脚 サイドボード

三重県・四日市、土屋さんのオーダーのサイドボードが 形になってきつつあります。
使用目的は TVボードなのですが 従来のTVボードのようにガラス扉で中の機器類を見せる
タイプのものではないため どちらかというと サイドボードと言った方がよいのでしょう。

サイドボード

用材は 北米産のポンデロサパイン 20mm厚の無垢材を基本に使用しています。
長期的に見て 湿気や乾燥等の影響による変化を発生させないように タテ・ヨコの接合部は
彫り込み、はめ込むような構造にしています。 多少の手間は必要ですが 狂いのない組み立てに
仕上がります。

組み立ての様子

本体の組立てには最も神経を使います。 全ての個所が直角になっていないと いろんな所に
狂いが生じてきます。 後で 引出し・扉等がピタッと収まるように あらゆる個所のチェックを
確実にしていかなければ 後で余計な苦労をすることになってしまいます。
ハタガネやクランプは第二・第三の腕となって 確実な力になりますが 力関係を甘く見ると
取り返しのつかないような失敗も ・・・・

組み立ての様子その1

組み立ての様子その2

組み立ての様子その3

いつもの事ですが デザイン画はあっても 細かな寸法を書きこんだような図面などは 全く存在
しません。 資料として残せば 次に生かせ楽なのですが 制作を依頼して下さった方だけの為に
創っていますので 次に同じデザインを引用することを あえて出来なくしています。
その都度 デザインを考え出すのはかなりのエネルギーを使い大変なのですが 最近では それが
楽しみにもなっているのは なぜなのでしょうか。

かわいい丸脚その1

かわいい丸脚その2

このサイドボードの一番の特徴は 全体を支える かわいい丸脚です。
脚のデザインを猫足にしょうと考えていましたが 高さの設定がある中では 本体の容積に
影響することもあったり また 幅が1850mmサイズですので 全体のバランスを考え
丸脚を選択してもらいました。

前部モールデザイン
前部モールデザイン

棚板
わん曲しないように創られた 棚板

世界にたったひとつの家具

フレンチスタイル TVボード

昨年3月に納品した 大阪・吹田市 富澤さん宅のTVボードをご覧になって
私たちに依頼して下さった 横浜の宮森さんのTVボードが完成しました。

横浜の宮森さんのTVボード

富澤さんのTVボードより小ぶりですが 細かい所に工夫を凝らし バランスの良いフォルムに
仕上がっています。
特徴としては、正面から見える金具を最小限にして 蝶番を見えなくしています。
下段・中央の扉は 上内部にスライドさせて収納します。 オープン状態で使用しても良いように
なっています。

下段・中央の扉

勿論、棚板の全てが可動式になっていますので 収納する物に合わせアレンジ自由です。

棚板その1

棚板その2

ペイント後のサンディングの効果が楽しみ

画像では 表面の木肌まで よく見えないのですが、ペイント後のサンディングの効果が
月日が経つと 少しずつ表れてきます。
制作から1年経つ富澤さん宅のTVボード類には きっと その変化が出てきていると思います。
サンディングされ木肌が露出している部分のパイン材が 飴色に変わり、ただ綺麗だった家具に
何とも言えぬ雰囲気を プラスしてくれるようになります。
使っている中での細かなキズも 味わいとなって 自分だけの家具に成長してゆくのです。

金具その1

金具その2

今回の金具は 独自に入れたイギリス製のものを使用しています。
真鍮製の金具をアンティーク風にしたものですが、パーツひとつで家具全体のイメージが変わり
グレードが上がります。

ご依頼のお話しがあって デザインをしていくのですが、いつも悩ましく思うのは
最初はどうしても 平面的なデザイン画でしか提案することしか出来ないことです。
それだけに いつものことながら 創りが 「これでもかっ! 」 という具合になってしまいます。

サイズ / 高さ1700 × 幅1700 × 奥行き460 ( 最大寸法・mm)
仕 様 / バダーミルクペイント塗布仕上げ
用 材 / 北米産ポンデロサパイン

世界にたったひとつの家具

ペイント直前の フレンチ カッブボード

アンティークのデザイン性を残しつつ しっかりした創りのカップボードが
白木状態で ほぼ完成・・・です。

カップボード

何と言っても 特徴は、上下の天板の下に付けたモチーフです。
今までにないほど 凝った創りで 全体の印象に よりインパクトを与える役目をしています。
脚は まぁるい形で フレンチ・スタイルそのものです。

まぁるい形の脚

アンティークのデザイン性を残したカップボード1

アンティークのデザイン性を残したカップボード2

アンティークのデザイン性を残したカップボード3

アンティークのデザイン性を残したカップボード4

アンティークのデザイン性を残したカップボード5

アンティークのデザイン性を残したカップボード6

実は このカップボードは、扉の内部に蝶番が隠れるように創られ
外からは見えない仕様になります。
ポイントになるノブは やっぱり KEY が しっくりきます。
これから ほどこす ペイントの色味にも しっとりと馴染むように配慮していきます。

ペイント+エイジング加工の報告は 次回のお楽しみに。

日常のこと

土のぬくもり ~ 唐津焼 ~

以前から興味のあった唐津焼。
一度は訪れてみたいと思いつつ なかなかチャンスに恵まれずにいました。

そして 今回念願かなって 訪れたのは 福岡県・糸島の「高麗窯」さん。
古家 章弘・義弘さんの父子で 焼いています。 出迎えてくれたのは 息子の義弘さんとお母さん。

高麗窯1

www.simanet.jp/cusmer/kourai

たくさんの器たちを前に ちょっと圧倒されている私たちに 穏やかに説明して下さるお母さま。
庭で育てたお花が さりげなく生けられた花器に 心うばわれます。
丁寧に作られた作品たち ひとつひとつに添えられたメッセージにも味わいがあり
思わずカメラを向けていました。

高麗窯2

高麗窯3

高麗窯4

高麗窯5

高麗窯6

中でも 私は やっぱり“粉引”の器が いちばん感覚的にしっくりきます。
主人は その力強い“焼きしめ”が 気に入ったようです。
備前焼より 表面がちょっとザラッとしていて 仕上げまでに かなりの時間と手間が
かかるそうです。
登り窯も見学させていただき どんなふうに火を入れていくのか 中の温度調節に使う道具も
良く考えられていて 感心するばかりでした。

高麗窯7

高麗窯8

爪様な物の 曲がり具合で 高温の温度管理をしています。

高価な 花器や茶器は およそ手が届かないけれど 毎日の暮らしの中で大切に使っていけそうな
数点を分けて頂きました。 もちろん 私の好みの“粉引”のものを・・・
とても 心あたたまる ひと時でした。 これからも 素敵な作品を作り続けて下さい。
また いつか お会い出来たらと思います。

次の目的地は 北九州の小倉です。 高速道に入ってサッサと帰るのではなく 九州での最後の
“うどん”を食べる為に 国道3号線を走ります。 福岡も“うどんやさん”は多く
道中いたるところにあります。 その中でも 以前、納品の際 偶然立ち寄った 小倉駅近くの
「吾作」さん。

吾作

ここの “ごぼう天うどん”はすごいです。

ごぼう天うどん

ささがきごぼうを 直径15cm位のかきあげにしてあって もう どうにも器に収まらない感じ。
あたたかい出汁の中で 衣をやわらかくしながら うどんと一緒にいただくと それはもう
おいしいこと。 今回も これが食べたいがために 回り道しました。
ちなみに 九州では“こぼ天うどん”( う は使わない) 一番人気で 丸天うどんが二番人気かな?
納得のおいしさで 九州を離れることも 想い残すことありません。
15分ほど走ると 関門トンネルです。 下関IC から950kmを走って我が家です。 

日常のこと

日本の維新と偉人の街 大村

九州・佐賀まで 家具のお届けに行って来ました。
わずかな距離で生まれ故郷である長崎・大村に行けるとあり 久しぶりの里帰りをして来ました。

長崎・大村

ここ大村の地から文化人や武人たちが日本の近代史に多くの偉業を残しています。

その礎となったのは 江戸時代・寛文10年(1670年) に藩校として設立された
「五教館」(ごこうかん) なのです。
時代を経て 大村小学校となりました。 そんな学び舎でしたから 先生が語る歴史上の話しに
いつも興味深く聞いていた事を 今でも鮮明に覚えています。

五教館御成門

小学校の一角に残された「五教館御成門」は新入生と卒業生が通る習わしがあります。
かすかに残る記憶は もっと古いものでした ・・。

この学び舎を巣立った偉人には 近代医学の祖・長与専斉。 湯川秀樹、朝永振一郎博士を教えた
世界的な物理学者・長岡半太郎。 西郷隆盛と勝海舟とで行われた江戸城無血開城の会談に
立合った渡辺 清。 坂本竜馬に頼まれ薩長同盟に大きな働きをした渡邊 昇。 大村藩を討幕へと
導くために力をつくした大村藩勤王三十七士の中心人物・松林飯山。 幕末の明治維新前後に
様々な分野で活躍した人材を数多く輩出し 日本の発展に貢献しました。

さらに時代は遡って、戦国時代の大村領主・大村純忠は長崎を開港し キリスト教を受け入れ
日本初のキリシタン大名となり 「天正遣欧少年使節派遣」 など歴史に残る多くの事業を
行いました。 小学五年の時、この話を聞いたことが一番強く残っており 今の仕事をするように
なった原動力の一端にもなっています。

前々からの想いでしたが、今回その大村一族の菩提寺に行く事が実現出来ました。

大村一族の菩提寺1

大村一族の菩提寺2

大村一族の菩提寺3

大村一族の菩提寺4

大村一族の菩提寺5

一部をとらえているだけですが 全体像は目を見張るものがあり その頃の歴史の重みをすごく
感じてしまいます。

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