異国情緒あふれる街として、横浜・神戸・函館・長崎などが思い浮かびます。 横浜、神戸も好きだけれど、今回 長崎をゆっくり歩いてみてその良さを満喫しました。
街中を走る路面電車はとても便利で 乗ってみるとどこか懐かしい車内。 停車ブザーの音も今どきの “ブー” ではなく、 “チリンッ” と鳴って何だかうれしくなりました。 街並みも 少し歩いただけで、そこここに明治のハイカラな雰囲気が残っていて感激しました。 グラバー園内には日本最古の「木香バラ」の大木。 他にもたくさんのバラが植えられており、これからの季節、きっとすばらしい風景を作りだすのでしょう。 “次はバラの季節に” と心に誓うのでした。
グラバーと縁の深い坂本竜馬の話は 主人 に任せるとして、私は食べ物の話をしたいと思います。
長崎といえばチャンポン、皿うどんですが、今回 行きがけにガイドブックで見た 「トルコライス」 を ぜひ食べたいと気構えていました。
「トルコライス」とは 名前の由来はいろいろ説があるようで、はっきりしたことは不明らしいのですが
「長崎風トルコライス」 を一言で説明すると、豚カツ・ピラフ・スパゲッティ・サラダを一つの皿に盛った料理で長崎の洋食屋で一般的に見られるローカルメニューです。 豚カツの部分にいろいろバリエーションがあり、ハンバーグやコロッケ、エビフライなどなど 自分の好みで選べるのが嬉しいですね。 肉が食べられない私にしてみればアウトなのですが、そのガイドブックにはカニクリームコロッケ バージョンが掲載されていて ぜひともこれを食べたいと浜町通りを行ったり来たり。 ようやくたどり着いた洋食屋さん 「オリンピック」。
ボリューム満点でカニクリームコロッケは衣がサクッとしていて とてもおいしかったのですが 欲をいえばスパゲッティがちょっぴり酸味が強かったかなぁ・・・ と思いました。 家族それぞれも一様に満足な様子。 私のワガママで食べたもののと思っていた心はちょっとホッとしたのでした。
私の中にある歴史的人物の一人「坂本竜馬」の足跡がここ長崎の地にあるということで、今回の家具のお届けは今までと違った楽しみがありました。 昨年は山口県・萩の「松下村塾」を訪れ、また、その前は鹿児島・西郷隆盛の地、札幌にお届けの時は函館の「五稜郭」と、チャンスがあれば幕末・維新の動乱期に変革の時を駆け抜けた群雄たちを訪ね、いつものように自分の姿を志士たちに重ねています。
時代に先駆けたその国際感覚と商才をもった坂本竜馬は 慶応元年(1865年)、薩摩藩などの援助により長崎・伊良林に日本で最初の貿易会社 「亀山社中」 を創設しました。
と・いうわけで、長崎における 「坂本竜馬」 幕末史ゆかりの散策路を “ さ る く ” ことにしました。
《 “ さ る く ” とは方言で、「歩きまわる」「散策する」様子をいいます。》
浜町から路面電車に乗り公会堂前で下車。 寺町通りの深崇寺と禅林寺の間からの小路がスタート地点で 亀山社中 を経て風頭公園に至る道が 「竜馬通り」 と呼ばれ当時の面影を残す道として親しまれ長崎らしい坂道が続きます。
手作りの案内板や一息つける休み石がありとても和ませてくれます。
「亀山社中」
『亀山社中ば活かす会』 の方が丁寧にわかりやすく解説してくれました。
坂本竜馬をはじめ、海援隊士、幕末の志士、幕末・明治期の長崎に関する古写真、竜馬の手紙等の貴重な資料を見ることが出来ます。 海運業,通商、商業活動の他、薩長同盟など倒幕運動にも参画し幕末・維新史に重要な役割を果たしました。
鎖国時代 西洋への唯一の窓口となっていた長崎。 そのころの長崎の街は、倒幕の野望に燃える志士たちや西洋の学問を志す若者たちなど、日本の新しい夜明けを夢見る人々の熱気にあふれていたのでしょう。
ブーツを履いた竜馬
船が長崎の港内に入るたびに 「長崎は わしの希望じゃ」 と胸躍らせながらこの坂道を駆け下りて行った。
長崎港を一望できる風頭山には坂本竜馬の銅像があります。
まるで見果てぬ夢を追い求めているかのように・・・
わずかな滞在の中ではありましたが140年前の史実に触れ、普段の生活感がまたまた何処かへ飛んで行ってしまいました。
あと一日いたい感じでしたが、多くの仕事が待っていますので帰路につきます。 長崎から山梨まで1,400km。 ひたすら一気に走ります。